夢語

はじまり



(もう嫌だ―――)
そっとソレを手に取る。
(もうやめてしまおう―――)
ソレは窓から差し込む夕日の光で赤く濡れていた。
そっと手首にくい込ませる。
薔薇のように赤い液体がソレに付着した。
押し当てた格好のまま右に引いていく。
(もうやめてしまおう―――)
意識は薄れていき、視界が黒く染まった。
(―――生を)

 ふと目を開けるとそこには俺の住んでいる町が広がっていた。しかし、何かが違う。目の前に広がる商店街に植えられた木はまだ葉が落ち切っていない。今は12月のはずだ。
(これは夢なのか?それとも…天国なのか?)
「エリコ!置いていくよ!」
「やだ、待ってよう」
俺の真後ろから2人の少女の声が聞こえた―――と思ったら俺の視界の前にその姿が音もなく現れた。
(!)
風が通り過ぎたような感覚。真後ろから駆けていく足音が聞こえ、近づいたと思った瞬間に風が過ぎ去ったかのように少女の姿が目の前にあった。2人の少女は俺を見ていなかった。いや…見えていなかったのだ。
(俺は死んだのだろうか?死んで“ユーレイ”とやらになったのだろうか?)
俺の身体を通り抜けていった2人の少女を見ると見覚えのある服を着ている。次に少女の顔を見た。
(…優?!)
1人はただ見覚えのあるような顔だ。だがもう一人の少女の顔を俺は忘れることなどできるはずがない。
(優!…そんなはずはない、優は俺のせいで…だがあれは俺の優だ―――)
俺は涙を流していた。“ユーレイ”でも涙を流すものなのだろうか?しかし俺は確かに頬に水の感触を感じている。
 その場を離れて少女たちが向かうところに俺は心当りがあった。見覚えのある服は学校の制服だ。俺も2人の少女たちを追って学校へと向かう。
(これは幻だろうか?ここが天国だろうかかまわない!俺は昔へと戻ってきたんだ!俺の優が戻ってきたんだ―――)

 2人の少女を追って俺は学校へと着いた。俺もつい数日前まで通っていた学校だ。2人の少女はそれぞれの教室へと急ぐ。
「じゃあね、優美ちゃん」
「ばいばい」
 俺は優のポニーテールを追ってある教室に向かった。俺は壁に手を添えようとしたら通り抜けてしまったためそのままその教室へと入った。少女はドアを開けて教室に入る。
「おはよう」
「おはよう、優美花ちゃん」
朝の挨拶が教室を飛び交う。優はある机の方を向いてにっこりと笑った。俺は予想はしていたものの少々驚き、その机の主を見ていた。
「おはよう」
「…」
(…おい、無視するなよ!昔の“俺”!)
そう、そこには“俺”がいた。昔を見ているとしたら当然のことだ。俺は教室をぐるりと見渡す。俺は教室の中では割と一匹狼のような感じだったので、“俺”の周りには誰もいなかった。話し掛ければ答えはした。ただ、好きでもないやつと話すのは苦手だった。
 黒板には『11月20日』と白い文字で記されている。
(あの日の1ヶ月前―――)
どうやら俺は本当に過去へときたらしい。このまま時が過ぎるとしたら俺はまた優を失うところを見て体験するのだ。
(あの日のようなことにはさせたくはない!変えられるだろうか―――俺にとっては過去だとしてもこのせかいでは未来だ。きっとそのためにおれはこの世界に来たんだろう。あの日を変えるために。…なにか方法があるはずだ。“ユーレイ”だとしてもあの日のような事件を防ぐ方法が。俺が優を守ってやる。絶対に)
 チャイムが学校に鳴り響き授業が始まった。優が出したノートを横から覗くと綺麗な見慣れた文字が並んでいる。
(優…俺の優…)
ポニーテールをそっとなでようとすると窓から流れてくる秋の風が毛先を揺らしていった。

 あれは10月の頭、10日ごろだったろうか。俺が風邪で学校を欠席した次の日、俺の下駄箱の中に何枚かのレポート用紙とメモ用紙が1枚入っていた。水色の、花模様の入ったそのメモ用紙には昨日の授業の内容が詳しく書いてあった。行書がかった綺麗な文字。最後には『早く良くなるといいね。明沢優美花』とあった。
 俺は顔が紅潮していくのを感じた。憧れの明沢さんからの手紙。そのことを思うだけで心に炎が燃えた。だが、彼女は偶然隣になった席の人が休んだからというようなものだったのだろう。
 教室へと入り、彼女の姿を認めるとレポート用紙を留めてあったクリップを差し出した。突然差し出された手に彼女は少し驚いた顔をしていた。
「…ありがとう」
その言葉に彼女はすぐに笑顔を見せてくれた。そのときの太陽のようにまぶしい笑顔を俺は一度も忘れたことはない。
「風邪、良くなったの?良かったね」
 そんな彼女が静かに涙を流しているところを数日の後に見ることとなった。放課後の誰もいない教室で彼女は顔を伏せて座っていた。忘れ物をとりに戻ってきていた俺はそんな彼女を見て見ぬ振りは出来なかった。彼女が座っている隣の席に座ると、彼女は少し顔を上げて俺を見た。泣いているのに笑みを浮かべようとしたその表情に俺はいたたまれない気持ちになった。
「…恥ずかしいところ見られちゃった」
「どうしたの?俺でよかったら聞くよ」
「本番で…失敗しちゃったんだ」
彼女は合唱部に所属していて、その日の前日の大会でソロを任されていたがそれを失敗してしまったのだという。
「私のせいで曲が台無しになっちゃったの。なのに今日部活に顔出したとき皆私のこと責めなかった」
笑顔が崩れる。彼女はまた笑顔を作ろうとするが強張っている。
「あはは…上手く笑えないや」
「笑わなくていいよ」
その言葉に彼女は動きを止めた。
「…辛い時は泣いていいんだよ。それに曲が台無しになったのはきっと明沢さんだけのせいじゃないよ。だからみんな君を責めないんだよ」
少女の瞳から堰を切ったように大粒の涙が流れ出した。その様子を俺は胸に炎を抱きながら水の尽きるまで見守っていた。

終業のチャイムが鳴った。教室がいっせいにざわつき始める。
(や、やっと終わった…“ユーレイ”って大変なんだな)
俺はこの1日やることも無く、居眠りをしている“俺”の頭の上で授業を見ていたり、優の後ろで優の声に浸っていた。だがやることがないというのは実に退屈なことでもあった。
(学校って有意義だったんだな…もう少しマトモに通うんだった)
担任が教室へと入ってきた。相変わらずのはげ頭だ。完全には静かになりきらないこのクラスのホームルームが終わるとある者は家路へ、ある者は掃除、ある者は部活へと足を進めた。“俺”の姿もいつの間にかいつの間にか無かったが俺は特に慌てようとは思わない。教室を掃除している優を待ってロッカーの上へと腰掛ける。いくら“ユーレイ”と言っても邪魔にはならないようにしようと思ったのだがよく考えれば箒もなにも通り抜けてしまうのだから意味は無い。優は手際よく教室の隅から隅を掃いていく。まるで踊っているかのような足取りだった。
 掃除が終わり教室を出た優を俺は追わず、今日一日で慣れた壁抜けをしてその場所へ向かった。そこへ着くと俺の後を追うように優が現れた。
「ヒロくん待った?」
「いや…全然」
“俺”が答える。“俺”はその公園にあるベンチに座っていた。優が歩み寄ると“俺”はすっと立ち上がった。
「…行くか」
「うん!」
(思えばこの秋の日々が一番幸せだったのかもしれない。でもそれを俺は自分の手で…) 「優はいつも元気だな」
「え?そうかな」
2人は道路を歩く。学校の裏の公園から続く優がいつも登下校に使う道を通って優を家へ送る。それが俺の日課だった。優やエリコ―――優の友達だ―――を始めとした一部の生徒しか通らない人通りの少ない道だった。
「いつも笑ってるからこっちもつられて嬉しくなるな」
「ほんと?そう言ってくれると嬉しいよ。どんな人でも笑顔でいてもらいたいから」
「…無理して笑っていることもあるだろう?」
少女が歩みを止める。ポニーテールがふわりと揺れる。
「そんなこと無いよ?」
否定する優に“俺”は言葉を続けた。
「俺の前で無理はしないでほしい…見ていて辛くなるんだ。優にはいつも笑顔でいてもらいたいけど…辛い笑顔は悲しいだけだ」
2人の横で俺はその会話を聞いていた。足は地面に着いていない。どうやら“ユーレイ”が飛ぶものだというものは本当らしい。
(…聞いてて恥ずかしい会話…でもその通りだ!優、無理するな)
「何か隠してないか?」
下を向いていた少女は歩き始めた。
「大丈夫!なにかあったら話すよ。君に心配はかけたくないからね」
顔をあげた優がいつもの笑顔だったので“俺”は安心しきっていた。しかし俺はうつむいた彼女の顔が今にも泣き出しそうな顔だったのを見逃さなかった。

 優の家へと着き、“俺”が優と別れたあとも俺は優と共にいた。壁を通り抜けて家の中に入る。誰もいない静かな空気が満ちた家に少女が足を踏み入れるとリビングのドアにかかったホワイトボードが出迎えた。“病院の日 母”という文字が切ない感じがした。
(誰もいないみたいだな…)
今の季節の冷え始めた空気にも似た冷たさがある中を少女は2階へと上がっていった。俺もそれに続いて上る。“優美花の部屋”というかわいらしいプレートがかかったドアを通り抜けるとふわりと花の香りが漂った。水色で統一された爽やかという言葉が似合いそうな部屋だ。
(初めて入る優の部屋…女の子の部屋って、もっとピンクとか赤とか派手なイメージだったけどそうでもないんだな。でもきちんと整理されているところが優らしいというか…!)
ふと後ろを見ると優が制服を脱ぎ始めたところだった。
(白くて細い足、柔らかそうな肌、そして…っておい何見てるんだ俺!)
自制心を取り戻し俺は優と背中合わせになるような向きを取った。それは優の机の目の前だった。参考書や教科書が並ぶ棚に1冊だけ立てかけられた花柄のノートが目に入った。“19×× 6月〜”と表紙に記してあるのを見ると日記らしい。見たい衝動に駆られるが俺は“ユーレイ”だ。物を掴むことが出来ない。未練がましくそのノートを見つめていると視界に長い髪が映った。黒いカーディガンを上着に着た少女が俺の前に歩いてきた。俺は優の真横に来るように移動すると少女は机の前に座り丁度俺が見ていたノートを手に取り開いた。俺が予想していた通りそれは日記だった。真っ白なページを開き白い手に握ったペンで『11月20日』という文字が記される。少女は少し考え込むようなしぐさをして再び書き進め、また止め、再び書く――。その文はこうだった。『どうしてわかってしまうのだろうか。でもヒロくんに心配をかけたくない。あの人は優しい人。きっともし危険な目に会うとしても私と一緒にいようとするだろうから。時々思う。真っ黒なトンネルのなかに居るみたいなそんな真っ黒な何かに飲み込まれそうになる自分に気付く。なんでかは分からない。でも誰も助けてくれなくて、自分1人の力で出なくてはいけない。そんな気がしてならない。ヒロくんはこんな私を知って私を嫌いになるだろうか。ヒロくんのことを頼りきれない私を嫌いになるだろうか―――』
(…そんなことで俺が優を嫌いになるわけ無いじゃないか…)
何故“俺”は気付かなかったのだろうか。こんなにも不安そうな優の顔。そしてこんな顔をさせているのは“俺”であり昔の俺だった。
 俺は少女を残して部屋から外へ出た。秋の冷たい空気が鼻をかすめていった。



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