記憶

記憶




(9月1日…か。あんなことがあったのに日常は勝手に進行していく。当たり前だけどす
こしむかつくな。)
 千夏は学校の教室に居た。部活以外はほとんど外に出なかった夏休みが終わり今日から
学校が始まるのだ。黒板に書かれた日付が輝いて見えた。
「卯川さんおはようっ!」
呼ばれた千夏は振り向き、クラスメイトの顔を見上げた。陸上部の佐沢なつこだった。
「卯川さんは昨日の○○見たー?」
「あぁ…そういえば見たような見てないような」
「何ソレ?自分のことなのに。まあいいや。△△ってカッコよくない?」
「…そうかな」
(よく覚えてないや…なんだっけ)
昨晩はテレビの前に居たことはいた。内容はボーっとしていたのか覚えていなかったが。
(眠かったのかなぁ…)
「えぇーっ絶対カッコいいって!」
「…うん…」
「あっ先生来た!じゃあね
」 「ほらー席付けー」
 担任の川村先生は若い女の先生だが男勝りの口調が特徴だった。割と生徒に人気も高い。
千夏はそんな川村先生の連絡にも心あらずであった。
(昨日…昨日あったことは…。昨日は一日中部活に行って…何やったんだっけ。パートで
××の練習?ちがう!合奏だ。そうそれで美月が怒られて…ん?それは一昨日かな)
「きりーつ!」
がたがたがた…
「卯月!目ぇ開けたまま寝るなぁ!」
「え?」
「え?じゃない、起立だ起立!」
皆立っていた。どうやら朝のSHRがおわったらしい。
「あ…スイマセン。」
かたかた…
「礼!」
「ありがとうございました−!」
ざわざわざわざわ…
「ちな!なにやってんだよ!」
ぽこっ。間抜けそうな音がした。
「イテ」
「器用だなーどうやったら目ぇ開けたまんま寝れるっていうんだよ。」
「寝てないよう。夕日こそ今日は遅刻しないで来たのね。」
暮野夕日は部活でも同じパートの少女だ。いつも部活はサボリ気味ではあるがクラスでは
何かと千夏に話しかけてくる夕日が千夏は嫌いではなかった。
「うるせえよ。おかげで髪グチャグチャなんだからなぁ」
言いながら髪を手で漉いている。千夏もつられるように夕日よりも長い肩まである髪を手
で遊ばせた。夕日も川村先生と同じく男のような口はきくが心はしっかり女の子なのだ。
見た目が気になるのは当然だろう。
「あ、今日部活3時までだってよ。メンドくせぇよな。」
夕日は口をとがらせながらいう。
「どうせまた分奏だぜ?昨日もそうだったのにさ…」
「!昨日合奏じゃなかったっけ?!」
「はぁ?何言ってるんだよ。昨日分奏中に千鶴が文句言いだして大変だったろ?」
「…」
「おい…ちな?」
(昨日の記憶…私の記憶…)
千夏の中にはぐるぐると渦巻くなにかがあった。

「___えー2学期はー年間で、えー一番長い学期であります。えーまたー大きな行事ー
つまりー文化祭―体育大会などの___」
(『えー』多いし)
校長先生の話にどうでもいいようなツッコミを入れながらも千夏は考え事を続行した。し
かしなにかに邪魔をされて昨日のことは思いだせない。
(昨日は…分奏だった。じゃああの合奏の記憶はいつのだろう?一昨日?でも確証はない。
どうしてこんなにも記憶が飛んでいるのだろう)
 よっぽど難しい顔をしていたのか、隣の男子が千夏の顔を覗き込んでいたが千夏は気付
かない。
(そもそも最後に合奏したのはいつだっけ…昨日じゃないのは確かだ。一昨日以前で…)
「___えー2学年はー中だるみの時期といわれておりますがーこのー2学期こそ行事や
いろいろなもので___」
10分以上続く校長先生の話はまだ終わりそうになかった。生徒の1部にはいわゆる体育
座りの姿勢のままうたたねをしだす生徒もいた。
(なんだろうこのもやもやした感じ。まるで霧がかかったみたいな…!)
千夏は誰かの声を聴いた気がした。校長先生の話し中だということも忘れて声をあげそう
になり慌てておさえた。視線だけを左右に動かす。隣の男子は一層眉をしかめて千夏を見
た。
「___以上、終わります!」
「起立!」
(あわわ…)
再び遅れそうになった千夏は慌てて立った。「礼!」
「以上で始業式を終わります。生徒は1年から順に___」
(今のは___?)
「千夏!何キョロキョロしてるんだよ?」
いつもと変わらない調子で夕日は千夏の肩を叩いた。
「誰かに呼ばれた気がして…」
「気のせいじゃねーの?しっかし今日も校長の話長かったなー。」
「一応『先生』ってつけなよ」
「15分、いやもっと長かったな。20分ぐらいだな。校長もよくあれだけ長く話してら
れるなー。」
「…『先生』!」
「ある意味うちの校長ギ○スブック並だよなぁ」
「…『先生』だってば」
しばらくそんな漫才のようなことをしながらも辺りを見まわしていた千夏だったが段々と
人が少なくなってきた。
(近くから聞こえた気がするからクラスの人だろうか)
「校長もさー、一回ストップウォッチもたせてみれば分かるんじゃない?」
「…だから『先生』。」
「あっ!話が長そうな先生集めて校長と勝負させるか!」
「もういいし…」
千夏と夕日が通った渡り廊下には鳥だけが通り過ぎていった。

「千夏!図書室いこーぜ!」
「…夕日って読書家だっけ?」
「いいから!」
誰かに呼ばれた気がした日から1週間が過ぎた。千夏は夕日に誘われ図書室に向かった。
秋とは言えども日はまだ強い。廊下に出たと同時に顔をしかめた。
「図書室の高原先生がたまにお菓子くれるんだよ。しかも冷暖房完備!」
「菓子につられたの?」
「本も読んでるんだからいいだろ!そう言うなって。」
(なんだかなぁ…)
千夏はここのところ勉強にも集中できずにいた。時折感じる誰かの視線___それが集中
の妨げのなっていた。それは授業中でも変わらぬ事実だ。
(昨日家でも全然勉強できなかったから…たまには本を読んで集中力をつけるのもいいか
も知れない。)

「高原先生!こんにちは!!」
「あら夕日ちゃんこんにちは。」
「こんにちは。」
 千夏もあいさつをした。高原先生はあまり若くないがやさしそうな性格がその口調にに
じみ出ていた。
「えっと…確か卯川さん。卯川千夏さんね。」
「…なんで私の名前…」
「夕日ちゃんがよく話してくれたからね。それにいつも成績も上位のほうだから先生方の
間でも有名なのよ。」
(中2で誘拐されかけた哀れな少女として…?)
「とりあえず座りましょう。」
我にかえる。考えていたことをかき消す。
(何を考えてるんだ私は…しっかりしろ千夏!そんなに疑り深い性格じゃなかっただ
ろ?)
「高原先生!」
夕日の呼び声。
「この前言った××××はー?」
「はいはい、ここに夕日ちゃん予約って保管してあるのよ。」
「先生大好きーっ!」
「…?」
千夏は本の表紙を見て違和感を覚えた。表紙には女の子とその女の子の顔をした、黒っぽ
いマントを着た子が並んで立っている絵が描いてある。
「夕日…これどんな話なの?」
「えっとね、この女の子がこの子でこの子がこの女の子なの」
「…?!」
「…夕日ちゃんそれじゃ分かりづらいと思うわ」
「つまり…この二人は同一人物だと?」
「さっすが、ちな!」
「そう。だけど女の子は黒いマントのこの子になっているときの記憶はない。黒いマント
のこの子には全ての記憶があるのにね。女の子にしてみればその記憶は摩り替えられたも
の、だけどこの子はその記憶を信じて生活しているのよ。」
「それって…。」
「まぁ多重人格症と呼ばれるものね。」
(記憶…摩り替えられた記憶…)
千夏は思わず立ちすくんでいた。
「でも…卯川さんにはこの本のほうが会う気がするわ。なんとなくだけれど…」
そう言って高原先生はすこし厚い本をとりだした。
「この本の主人公は辛いことを経験してしまったせいで記憶を失ってしまうの。だけど
…」
(!記憶を失う?!)
そこから先、千夏は会話をまるで聞いていなかった。手を差し出し、きちんと会話を聞か
ないまま本を受け取った。
「ありがとう…ございます。」
そのときの千夏の顔はひどくひきつった笑顔であったことを本人は気付くはずもなかった。
(記憶障害…多重人格…辛いことを経験した…)
再びなにかが沸々と千夏の中から浮かび上がり、渦巻き始めたのを本人より他に知る者は
ない。
(あの日のせい?あの男のせい?…一体いつまで悩めば終わりが見えるのだろうか。一体
いつまで苦しめばいいのだろうか…)

「ふぅ…。」
ため息をついて千夏はベッドに倒れこんだ。高原先生から勧められた本を読み終わった夜
だった。始業式からは2週間が過ぎていた。
(記憶障害…私もそうなのかな…)
そんなことを考えながら日曜日に声をかけられた小学校のころ友達だった、友達だったは
ずの少女のことを思いだした。

___千夏は母親と街を歩いていた。母親は部活や学校以外は外に出ようとしない千
夏に気を遣ったのか色々な店や場所につれて歩いた。
「あれ?ちなじゃない?」
(…え?)
聞き覚えのない声。振り向くと少女と目が合う。見知らぬ少女の輝く瞳があるだけだった。
「ちなでしょ?ほら私だよ!」 
ドクン…
心臓が高鳴る。段々と鼓動が早くなるのが自分でも分かる。見知らぬ少女の顔は曇ってい
った。
「私のこと…忘れちゃったの…?あんなに仲良かったのに。」
(わからない…誰?)
「小学校で同じクラスだった谷野美奈だよ…?」
「…ごめんなさい…。」
(また、だ。記憶が飛んでる…)
 千夏の視界はぼやけた。無意識のうちに泣きそうになってくる。そんな千夏を見て、谷
野美奈と名乗った少女は千夏のぼやけた視界のなかで慌てた。顔はやはり困ったような曇
り顔だったが。
「中学別だったし全然会ってなかったから仕方ないよ!それにほら、ちなは妹とかいるか
ら小学校の運動会も行ったりしてるかも知れないけど私は兄弟いないから行かなかった
の!…ごめんね?」
(謝るのは私のほうなのに…なんで忘れてしまったのだろうか。)
「…ごめんなさい」
もう一度千夏はつぶやくように声に出す。
「ほんとにごめんね!じゃあね!!」

そう言い残して少女は手を振りながら帰っていった。千夏と母親はしばらくその場に立っ ていた。先に口を開いたのは母だった。
「千夏、あんた…」
「お母さん!」
はじかれたように母親に取りすがる。
「帰ろ…?」
千夏の必死さに母親も驚いている。
「ねぇ、帰ろうよ…お母さん…」
「…千夏。」
(なぜ…なぜ忘れてしまったのだろうか…)
 秋の色がつき始めた風はひんやりと涼しい気がした。千夏と母は家路へと足を進めた_
__

(谷野美奈ちゃんか…)
やはり思いだせない。まるで霧がかかったようにぼんやりとしている。あのあと卒業アル
バム、クラス文集まで引っ張りだしてきたのだ。はたして『谷野美奈』という名はあった。
谷野美奈だけでは無い。ほとんどの名は見ても顔を思いだすことはできず、写真を見ても
名前が浮かんでこなかった。
(小学校のころ…いや、小学校以前の記憶があいまいだ。なぜ?どうして?)
思い当たることなど一つしかない。
(記憶を失ってどうやって生きていく?この本にはひとが何か辛いことを経験したとき記
憶を失ったり心に深い傷を負って精神に異常をきたすことがあるって書いてあった。私は
生きていけるのだろうか___。)

 千夏はそれからというもの、図書室と部活に通うために学校に通う、という状況になっ
た。教室では本を読みふけり、放課後は部活に急いだ。本を読むことで千夏は生き方を見
つけようとしていた。それはなかなか見つからず、しかも検討のつかないものであった。
部活は『何も考えない』ために行っていた。部活をしている間だけはほかの事を忘れるこ
とができることに気がついたのだ。
 その姿を見ていた後輩、千鶴は千夏にこう言った。
「千夏先輩人形みたいですね。表情もほとんど変えないし、感情が無いみたいに見えま
す。」
千夏はその言葉にやはり表情を変えずに考えたが、ほんの少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「そう。残念だな、人形のようにきれいだって意味じゃなくて。でも感情はちゃんとある
よ。顔にださないだけ。」
その言葉に悪意は感じられなかった。ただ純粋に受け止めた。
(人形のよう…か。人形になれたらどんなに楽だろうか。何も見ることも無いし何も聞か
なくていい。ただ…笑っていればいい。)
 あの事件から1ヶ月が過ぎた。それでも千夏はまだ辛い、割り切れない気持ちがあった。

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